Xoay感想 〜「現実世界×ペン回し」CVの楽しみについて〜

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 机上の同質的な撮影環境を離れ、外に出れば変わりない俺たちの生活がある。ペン回しには回す手があり、それを支える腕があって、腕の持ち主は当然服を着ている。彼は立って座って歩いて、あるいはスクーターに乗って道を、自分よりも遥かにデカい建築物の列の間を縫ってどこかへ走ってゆく。それらを取り囲んで空気があり、明暗があり、雨と遠雷がある。

 そういう俺たちの生の時間を前にペン回しはとても小さい。たぶん太陽と地球くらいの差がある。

 ペン回しに現実世界を組み込むのは、ペン回しという抽象的運動体を、厖大で遡行不可能な生の時間と対峙させることだと思う。または、生の時間をペン回しと対峙させることでもあるだろう。

 “Xoay”の風景カットは、どこかへ向かってゆくような、動きのあるカットが多く、ふとしたところで薄暗くしんとした路地のカットが挿入される。

 ペン回しのカットは、序盤は背景に動きのある、風景カットとリンクしたものが続くが、中盤からは風景カットの動きと対比するように、静かな背景でのペン回しが多くなる。ペン回しのカットのどれもが、明暗やアングル、背景などにそれぞれ違う趣きがあり、風景カットも相俟って、ペン回しがメインでありながら、生の時間のなかに溶け込んでいる感じがする。

 ついでにみちのく旋転会の“REAL”やLotus氏の“OMACHI-KUDASAI”を見返してみたけれど、“Xoay”はこの二作品とは微妙に別なアプローチになっており見応えがある。

 大したことは書かなかったけれど、現実世界×ペン回しの楽しみを俺なりに言語化しておいた。多分このコンセプトがとれるアプローチもそういうものなんじゃないだろうか。

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2022/09/05 21:41 副題を追加アンド修正