シン・ペン回しが上手いとは何か
ペン回しが上手いとは何か。
意外にもこの問いはむずかしい。上手い下手の基準そのものは歴を重ねれば自然と備わっていくものだが、これを言葉にしようとした途端に行き詰まってしまう。誰々のここが上手いとか、こういう部分は下手だ、とか、そういった具体例を挙げることはできる。そしてその具体例から上手い回しと下手な回しの共通点を見出すことも、それほど難しくはない。だが、その回しが“なぜ上手い/下手だといいうるのか”ということになると、説明が非常に難しくなる。暗黙知の領域だからだ。実際この問題は、大会などにおける客観性(公平性)というまた別の問題とひとくくりに、“主観”という言葉で対処されていたように思う。審査基準を審査員の“主観”にしてしまえば、同時に二つの問題をパスできる、非常に使い勝手の良い言葉なのだ。
しかしながら主観の内実を暗黙のままにしておくのはどこか心許ない。この問題について、近年の公式大会・大型CVの運営はかなり苦心したに違いない。JapanCup審査要綱20250106制定版では、ペン回しの評価要素に“視覚的快感”を挙げ、こう記している。
ペン回しから直感的に得られる上手い、面白い、滑らか、美しい、味があるといった〝良い感覚〟の総称です。他のすべての評価要素と密接に関連し、FS全体の評価において重要な意味を持ちます。
視覚的快感。平易でありつつも核心を突いた言葉である。「見ていて快い」ことは、当然ながら上手さの前提である。この前提によって主観の意味もひとまずは説明されるし、“快感”の定義によっては、既存の評価項目では取りこぼしてしまうようなFSを評価することも可能になる。ただ「審査基準は私(審査員)の主観です」とだけ記すよりもわかりやすく、はるかに納得できる言い回しだ。
では、視覚的快感とは何か。公式大会やCVなどにおける審査基準を示すうえではこの上なく相応しい言葉だが、しかしながらその内実はやはり暗黙のままだ。僕たちはなにに、なぜ快を感じるのか。
暗黙の部分を照らすことは、おそらくかなわないだろう。仮に僕の感じる視覚的快感の内実がわかったとして、それはあくまで僕の主観であって、他のスピナーも同様であるとは限らないためだ。しかし、せめてその暗黙の部分に目を凝らすだけでも、なにか拾い上げられるものがあるのではないかと、僕は思ったのである。
評価の俎上
以下、僕の主観について検討する。ペン回しの上手さ以前に、まずそのペン回しを僕にとっての評価の俎上に上げられるかどうかという段階がある。以下の項目はその基準である。この基準を満たしていないペン回しを僕は長年退けてきた。
1、環境とアングル
自明なことだが、ペン回しを主役に据えるのでなければならない。雑然としすぎてもいけないが、物がなさすぎて殺風景なのもよくない。基本的な条件は他の人が書いていることとほとんど同じであるため省略するが、特筆すべきこととして、“手―前腕以外の人体部位及び肌を不必要に映してはならない”という点がある。顔や足は当然ながら、僕個人としては肘もいけない。それらの部位、肌は生々しい印象を受ける。
この点がなぜ特筆すべきか、“ペン回しをする手は他の人体部位から切り離されるべき存在”であるからだ。
2、ペンと手との比率
手に対してペンが長すぎても、ペンに対して手が大きすぎてもいけない。それらの条件をクリアしていたとしても、背景色にペンや手の色が同化してしまうのはよくない。ここで重要なのは、あくまで動画内での“主張の強さ”である。短いペンであってもDr.gripのように太さ、重厚感があれば手の主張に負けない。長いペンであっても腕が激しく動くpower系のFSであれば、ペンと手との主張の釣り合いが取れる。
要は、ペンと手との調和である。ほどよい調和のもとに、あらゆる表現が有効になる。
3、完成度
もしペンを回す手が力んでいれば不自然に見えるし、円軌道を歪めるような技つなぎもよくない。不必要に腕が動いてもいけない。綻びがあってはいけないのである。
まとめてみよう。僕にとって評価の俎上に上げられるペン回しとは、“他の人体部位から切り離された存在となった手が、ペンとの程よい調和をもとに、不自然さや綻びのない演技を遂行するもの”である。
ここに、ペン回しの構成物である手とペンとの存在の如何が見出せる。まずペン回しにおける手とは、人体機能としての存在意義をいっさい抹消される。動画に映る“手のような何か”は、僕たちの思い浮かべる手の形を保ちつつも、表現をする主体へと変貌する。ペンもまた同じである。そこにあるのはペン(改造ペン)の影を残した、回転する何某かである。その手がペンを回し始めた瞬間、彼らは互いにもつれあいながら一個の表現物として画面の中に存在し始めるのだ。そして表現物が表現物たるには、決して綻びが生じてはならない。ペンの回転がずれ、手が力めば、その瞬間にその表現物は単なる手とペンとに戻ってしまう。例えるなら、絵柄付きの駒を回したときに、表面に浮き出てくる抽象的な模様に似ている。駒が回っているあいだしかその模様はあらわれず、バランスを崩せばたちまち消え去ってしまう。駒の作りが悪ければその回りも悪くなり、模様も不完全にしかあらわれないだろう。
視覚的表徴
こうして現出した表現物にはひとつの大きな特徴がある。そこでなされるそれぞれの技に、それぞれ固有の視覚的表徴が浮き彫りになるのだ。*1
技の視覚的表徴とは何か。ノーマルとソニックとの違いを考えよう。ノーマルは親指を一回転する技であり、ソニックは中指を跨いで一回転する。ノーマルの円軌道が平面的なのに対し、ソニックはやや円錐状である。ソニックはノーマルより技のスピードが速い。
シャフィーボとネオバックフォールとの違いはどうだろうか。前者は軸が変わるごとにペンの受け渡しによるもたつきが発生する分、強弱がつきやすく、印象に残りやすい。加えて(二次的な表徴ではあるが)有名で華のある技であることから、様式美的な性格も持ち合わせている。後者はもたつきは少ないが、その分技の進行が速い。難易度の高さでは印象に残るが、それ以上の印象は残りづらい。
視覚的表徴とは、そのような、個々の技がもつ性質のことだ。この視覚的表徴をうまく配置し、制御することによって、表現物に展開が生まれる。
展開の性質は、大きく二つに分類される。一つはペンの回転に焦点をあてたもの、もう一つは指による表現に焦点をあてたものがある。むろん、これらの分類は排他的なものではなく、ひとつの表現物の中に容易に共存する。
1、回転方向・回転面による展開
技の視覚的表徴のうち、純回転/逆回転、ガンマン系/アラウンド系など、回転する方向や、回転が作る面の向き、円軌道の形などを制御することによって展開をもたらすもの。典型的なものでいえば切り返しだが、似た視覚的表徴を持つ技を反復する技法もある。前者はWhitedragon、shahellなど、コリアンスピナーに顕著であり、後者はJapEn3rdのoutsider氏、DADAのmind氏などが秀逸な例である。
2、指の表現による展開
技を行ったとき、必然的に生じる指の変形・ギミックを制御することによって展開をもたらすもの。(あくまで必然的に生じる範囲でのみ表現足りうるのであって、不必要に指を強調すれば、前述のとおりそれは表現物でなくなる。)ayaNo氏、JapEn8thのmind氏などが秀逸な例である。
以上の二つの展開よりは副次的なものになるが、音楽的な制御もある程度可能である。 技それぞれのもつ視覚的表徴をそれ固有のリズムと解釈し、制御するのだ。古くはKTHから、Iful氏やiteza氏、特殊な例としてmonji氏など、秀逸なスピナーはたくさんいる。
ちなみにペン回しで表現できる音楽的表現には限りがあるのだが、それを補填し、より音楽的に拡張する媒体がCVである(JapEn2ndのcery氏のパート、ZYAVUXA9thの後半パートなどがよい例だろう)。
「外れる」こと
ここで注意しなければならないことがある。技の視覚的表徴は、固有のものではあるが決して固定されたものではない。「外れる」ことができるのだ。熟練したスピナーは意識的か否かを問わずそのことを自然に理解して、運用している。
ここで「外す」でなくて「外れる」と書いたのは、その「外れた」状態というものが、決して意識的に生み出されたものに限らず、偶然的に生まれたものが多くあるからである。
意識的な例としてはmonji氏が挙げられる。
氏はもとある技の視覚的表徴によって緩急を作るのでなく、緩急そのものを主題に置き、それを表現するために視覚的表徴を「外す」という通常とは真逆のアプローチを行なっている。そのために表現物に独特の浮遊感が醸成されている。
(おそらく)偶然的に「外れた」例としては、JapEn7thのモナチョ氏の締めがある。
23チャージリバ→トルネード〆という簡単な流れであるが、締めのトルネードが、通常僕たちが考えるトルネードに比べ、異常に速い印象を受ける。後半の同じオーダーと比べてみても、明らかに速いのだ。締めの前後での指のブレのなさ、揺らぎの一切ない回転に加えて締め前のチャージでのタメが効果的に働いていること、またコマ落ちなどの偶然的な部分も含めて、通常の視覚的表徴を「外れ」て、異様でかつ魅力的な効果をもたらしている。
無機質ペン回しという言葉をよく耳にするようになった。これについて僕個人の解釈で説明するなら、この「外れ」状態が多くなく、あくまで技がもともと持つ視覚的表徴に準じた回しに終始しているものだと言えるだろう。
快が生じる条件。また快が生じるとき、僕の中で起こっていること
ペン回しという表現物について、これまで3つの段階を書いてきた。1つ目はそもそも表現物に成れていない段階、2つ目は評価の俎上にはひとまず上がれる段階、3つ目はさらに、その表現物が現実に成しうる表現を越えた表現を行なっている段階だ。
視覚的快感は、表現物がこの3つ目の段階に至ることで僕のうちに初めて生じる。”視覚的快感とは何か”という問題は依然明かされないままだが、しかしここまで言語化することによって、快がいつ生じるかの境目については、見えてきたようだ。
では、快の生じると生じないとの差はなんなのだろうか。技の視覚的表徴が本来のそれから「外れた」状態……。なぜそこに僕は快を感じるのだろう。
そもそも、技の視覚的表徴という概念が、完全に相対的ではないまでも、絶対的であるともいえないことに、注意しなければならない。なぜなら、表徴を表徴として処理する見識が必要だからだ。これについては、非スピナーからみたペン回しを想像してみるとわかりやすい。ノーマル程度しか知らない彼らは、仮にリバースを目撃すればその視覚的表徴の差に気づき「え! 逆回ししてる!」と叫ぶことはできるだろうが、伏せノーマルをみて、それがノーマルの”裏”であると気付くことはできないだろう。2軸のバックアラウンドになれば、彼らは完全に黙してしまう。ノーマルとは違う指、違う回転方向……彼らの目にも視覚的表徴を受け取ってはいるだろうが、その表徴を整理し、統合する見識がないために、処理落ちしてしまう。
僕たちは2軸のバックアラウンドごときで処理落ちすることはない。しかし、僕や身の回りの人たちで共有しているペン回しの文脈から外れたものを見たとき、僕たちにも非スピナーと同様の機会が訪れる。
僕にとってそれは、まずpower系スタイルのペン回しであり、WT勢のペン回しであり、近年飛躍的に成長している2Pen分野であるのだが、卑近な例はもっと身近にある。
Noel氏である。
僕がこの表現物において視覚的表徴を適切に処理できるのは始動の一瞬の間と、締めだけである。中盤のリズミカルで曲芸的な内容について、僕は黙するほかない。評価の俎上に上がるための条件は間違いなく満たしている。しかし表現物として成立したものの内実について僕はただ、わずかに難易度の尺度で測れるかどうか、というレベルの見識しか持ち得ていないのだ。
このことから、僕が先に示した3つ目の「外れた」段階に新しい留保がつけられる。”自分がそれとわかる範囲での”視覚的表徴から外れている状態に、快が生じるのだ。
もう少し詳らかにしたい。この快が生じる刹那の時間のことを、僕はさらに検討した。
結果、その時間において僕は次の処理を無意識に行っているようだ。
1、まず眼前の表現物から視覚的表徴を読み取り、経験的に脳裏に積み上げられた視覚的表徴のコードと眼前のそれとを比較し、
2、表現物の「外れた」状態の技等が、己自身のコードのどれとも微妙に当てはまらないことに戦慄する。
3、しかし間もなく実際の技等と自身のコードとの間に連関が結ばれる。そこに安心が生じる。
4、それとともに、実際の技等の「外れ」状態を認識し、吃驚する。そのことによって自身のコードの存在を再確認する。
いわばガラス張りの橋を渡ることに近い。自分の足許が盤石であることを僕は知っている。しかしいざ一歩踏み出したその時、たくみな光の加減でガラスの反射が消え、床がまったくの透明になったとしよう。その一瞬、出した右足が竦む。本当にそこに床はあるのか? この右足をおろせば、空を踏んでたちまち谷底に落ちてしまうのではないか? ……しかし結局、その恐怖は杞憂に終わり、右足は透明なだけの床をしっかりと踏みしめるのだ。その右足で踏んだ感覚が、床の透明さへの驚きを喚起し、同時に床というものの盤石さをも喚起させる。
ペン回しが上手いとは何か
視覚的快感の正体とは、異質なものに出くわした時の緊張と、そしてそれが実は自身の見識でとらえうるものだと分かった時の安堵とが全く同じ瞬間に起こった状態のことである。異質なものは、自身の見識を映す鏡であり、もっと突き詰めればそれは自身の存在そのものを顧みさせる鏡なのである。
その視覚的快感のさなか、鏡に映った自身と異質なものの実体とが接続され、そこで初めて僕は「上手い」と唸るのだ。この点から、僕はペン回しにおける上手さが全くの主観的なものであるということを認めざるをえない。ある表現物という他者と自己の見識との絶え間ない相克と接続との繰り返しのなかにしか、上手さを感じる目は育ってこないからだ。目が育まれる過程で己の主観ではない他人の審美基準が入り込む可能性を否定はしないが、最終的に視覚的快感を認識し「上手い」と唸るのは、自身の見識であり、自身の心なのである。
おわりに
僕の主観の内実をつらつらと述べた。最後に、検討しきれなかった問題について記しておきたい。僕の視覚的快感は、表現物を処理する過程における3番目の「実際の技等と自身のコードとの間に連関が結ばれる段階」を挟んでいるために、依然として、“自身のわかる範囲内で”という留保がついたままであり、その点で僕の視覚的快感は閉じられたものである。しかしだからといって先述のNoel氏の動画を、わからないと思いこそすれ下手だと思うことはない。むしろ何の検討もなしに“上手い”と感じることさえできる。長らく敬遠してきたpowerスタイルやWT勢の表現物においても、上手いと感じるものも少なくはない。この点で、僕の閉じられているはずの視覚的快感は、ここで記したよりもはるかに広い守備範囲を持っているのだ。表現物にまだ僕も気づいていない接続があって無意識的にそれを見出しているのか、それとも、自身のコードとの接続なしに、ただ眼前の“理解できないもの”への戦慄が、視覚的な快感を生み出しうるのか。……このことまでこの記事で詳らかにしておきたかったが、さまざまな時間的制約*2によってそれは叶わなかった。このことについて考えてみるのはまた次回にするとして、ここで筆をおこうと思う。
以上
2022年振り返り
ハルシオンさんの記事に触発されたので、自分も書いてみる。とっくに年は明けてしまったが。……
1〜3月
この辺りはまだあまりペン回しをしていなかった。前年に家族関係の破綻が完全な表面化を迎え、その影響でヒステリックになった母親により自分の部屋をめちゃくちゃに荒らされたので、家を出て一人暮らしを始めた。
4〜6月
もう数年来ほぼペン回しをしていなかったが、一人暮らしを始めてから急に、FSを組むようになった。寝るために買ったクッションの色合いがペン回しの撮影の背景としてちょうど良いことに気づき、いくつか短いFSを撮影したのち、5月あたりにfukrouさんのCV『IN THE DUSK』に動画を提出した。そのときの手癖技を全て入れたが、そこそこ良い動画が撮れたと思う。
実家の縁はなんやかんや切れなかった。完全に絶ってしまえば次の破綻が程なくやって来、その後処理を僕一人でやらねばならなくなることが容易に予想され、加えて他人の絡む問題もあったためだ。母親の烈しいヒステリーは6月まで続き、その間にだいぶ性格が歪んだ。
7〜9月
母親のヒステリーはこの頃から影を潜め、今に至っている。今でもいつ再発しないかと戦々恐々としている。
ペン回しではこの辺りから活動が活発化する。CVに複数出演し、全日本ペン回し選手権大会で、決勝には漏れるも13位入賞する。
8月あたりまでテーブル一つさえない生活を送っていた。見かねた高校時代の友人数人(全員県外で働いている)が盆休みに集結し、家具買い出しの手伝いをしてくれた。僕の生活の有り様を実際に見た彼らから「高さが足りない」「二次元にいる」などと言われた。友人たちよありがとう。
ペン回し選手権の決勝が行われる裏で知人のドラマーのスティックを回すなどした。
PSOとJapEnの告知があり、スケジュール丸かぶりであったが二兎を追うことにした。ひとまずJapEnの一次締め切りに動画を提出した。
三つのCVに出演した。彼の二作目を含め、Screwさんの編集にはとんち的な豊かな発想力がある。
『SMR Splash』(Nattowさん作)
『IN THE DUSK』(fukrouさん作)
『At Home』(Screwさん作)
10〜12月
新型コロナに感染し、初めて発症した。昨年後半から今年前半にかけてゴタゴタ続きでワクチンを一回も打てていなかったので一週間丸々苦しんだ。40度の熱が三日続き、これまでにない烈しい喉の痛みのために食事はとれず、重い倦怠感で身体を起こしているのもやっとだった。PSOの締切前に発症していなくてよかった。
PSOラウンド1を撮っていたところへJapEnのFSについての講評が届いた。Easeさんとのスタイル的な差別化を図るべしとの評があり、このとき回すペンを変えた。十年近く回してきたDr.gripから、新品の、重心の位置が全く違うDr.gripに変えるのはだいぶ勇気の要る選択だったが、これが功を奏したと思っている。
PSOとJapEn撮影の同時並行は正直しんどかった。やりたいことと実際にできることとの塩梅がうまく調整できておらず、一本の動画を撮るのに数週間かかってしまうという体たらくだ。2023年はもうちょっとなんとかしたいと思っている。
スマホ編集ソフトをNogutaさんに教えてもらい、拾いを作った。動画蒐集の能力があまりにも低すぎるため、次作では動画を募ることにした。
JEBfesに行った。前日にはディズニーに行った。あまりの寒さ、移動疲れ、完全ソロ初見など相まって有名アトラクションには乗らなかった。ラプンツェルと写真を撮り、パレードを見、スティッチが話芸でめちゃくちゃ場を回しているところを見た。あまりこういうテーマパークは好きではないが、なんやかんや行ってよかったかなとは思う。
ディズニー退園後iroziro、fukrou、alp、sulfideの飲み会に混じって喋った。iroziroさんはリアルでも上手かった。宿を決めていなかったalpさんと僕はsulfideさんのお世話になった。僕に至っては二泊目もお世話になった。本当にありがとうございます。
当日はalpさんと二人で行動した。ナランハでVP、サンバ、HGGなどいくつかペンを買い、会場近くのカフェでJEBfesの時間まで暇を潰した。同世代ということもありいろいろ話せたと思う。
六年ぶりのJEBfesは普通に楽しかった。モナチョさんの鬼気迫るZCC→FLリバに思わず嘆息し、RPDさんに2pensを教えてもらい、Airiさん始め同世代と数年ぶりに会話した。同じDr.gripスピナーであるaonekoさんとも数年ぶりに会い、ついでなのでJapEnで共演しておいた。Sfineさん等若手にペンを幾つか貰ったので筆記で使っている。
こうしてさまざまなな人と会ってみたが、身内でないスピナーと話すときの距離感を測りかねたな、とやや反省している。自分が興味のあるトピックに、相手も同じように興味を抱いているわけでは必ずしもない、というコミュニケーションの原則から自分がいかに逸脱しているかということを再認識するよい機会であった。
出演・出場
『大晦日コラボレーション2022』(剛腕さん作)
『HERMITAGE』にシレッと落選。
編集
拾い『Sweet shareroom』
その他
・諸々の撮影が終わった12月の前半にギターを買いずっと弾いている。
・PCを買うお金を貯めていたが、2023年に実家の諸々の整理をするため、結局買えなさそう。
・これまでのJapEnを回顧する記事が、あまりにも膨大になりすぎたため書きかけのまま止まっている。ひとまずJapEn18thの感想を先に書いた方がよいだろう。
・マッチングアプリを始めたが、箸にも棒にもかからない。やたらグイグイくる人がおり会ってみたが、よくあるネズミ講の勧誘だったので即ブロックした。グイグイくる相手の勢いに乗っかってはダメだなと思った。
2023年はプレイヤーとしてだけでなく、界隈を活発化させるために色んなことに手を出すだろうと思う。実生活との折り合いがあるため、どこまでのことができるかは正直わからない。一番やりたいのは九州オフである。
最後に宣伝。『愛のあら熱』CV制作します。動画募集中です。よろしくお願いします。
身の振り方を考える(PSO振り返り)
本来僕は海外の大会には興味を持たない、JEBスピナーにありがちな態度をとっていたので、PSOが2018年からやっていたことも覚えていなかったし、今年も対岸の火事だと思っていた。しかしよくよく公式のツイートを見てみれば“Unmod”なる文字列がある。その文字列が目に入った瞬間、遠くの祭囃子が一気に僕の領域まで急接近してきた。
年末はJEBもイベントが多くなるのでスケジュール上、それでも参加には及び腰だったわけだが、下のツイートがついには決め手となった。
これ言うと同業の人に怒られるかもだけど、未改造専門が持ち得る特権的技術はさほど大きくないと思うんだよな。世界ランカーとかjebの昔から上手い人たちに未改造研究されたらその優位性を保つのは厳しいと予想。そしてこの予測の答え合わせは早い方がありがたい。
— 風宴 (@DormantStill) 2022年9月16日
端的に言ってこの予想は正しい。未改造ペンでできて改造ペンでできない技というのはなく、突き詰めてみればスタイルとして両者を分かつのは、それぞれで見栄えのよい技が違うことだけだと言える。ゆえにその差異をさえ気にかければある一定以上のクオリティのFSを作ることは可能であって、実際その例としてEverchixさん(上)、Itezaさん(下)を挙げられるだろう。
ツイート主のTaliskerさんの指摘通り、彼らが未改造回しの研究を本格的にやり始めたら、ものの数ヶ月で僕を越えてゆくものだと想像に難くない。
突如としてobjeというUnmodスピナーの立場が揺らぐ。僕は無駄に十年もDr.gripを回し続けているからだ。果たして僕の座っている椅子は、十年という歳月の長さとスタイルの特殊性に頼りきった、伝統主義的で権威主義的な、脆い椅子ではなかろうか。
ペン回しの発展においてスピナーの立場など瑣末事だ。しかし、未改造ペンで素晴らしいFSを生むなら、ついでに僕を正面から潰して欲しい。その思いから、ある種ヒール役を買って出るつもりで参加した次第である。
結果は僕の優勝に終わり、aonekoさんの準優勝に終わった。予選から既に僕とaonekoさんとの優勝争いであることがほぼ決定づけられた印象であった。僕の意気込みには単純なミスがあった。それはUnmod部門が今年から新設された部門であるゆえに、未改造回し専門ではないスピナーたちが短い準備期間のなかで挑まなければならなかったという事だ。しかし拍子抜けな結果だったかといえば決してそうではない。KoViさんの意気込み溢れる奮闘を見ることができたからだ。
彼のFSにはEaseさん的な文脈が随所にみられ、加えて自分のアドバンテージも組み込もうと苦心した形跡がある。この短期間でかなり研究したことが容易に窺える。僕の面目が潰れることはなかったが、真っ向から挑まれていると唯一感じたFSであった。
それ以外でも自らのポテンシャルで勝負に出たと思われる良いFSもあった。難易度重視のtetoraさんやGravy、miくんやEnceさん、coffeluckyやPadraceなどのFSは上述の点で良かった。またDrakeSは海外ではほぼ唯一未改造ペン回しを継続している人であるため、彼にはこれからも頑張ってほしい。
では僕がヒールの役を全うできたか。達成率でいえば65%ほどだろうと、執筆時点では思っている。簡素で、未改造ペンでも改造ペンでも比較的見映えの保証されたパス+ウィンドミル系統の技に終始したために、Easeさんやaonekoさんのような見応えにはいまひとつ欠けていたのではないか。未改造ペンを回し続けてきた者としてあるべき洗練度に達している自信はあるが、密度や構成の面白みという点では不満が残る結果となった。そして今の自分の発揮できるポテンシャルとして、実はこれがほぼ限界に近いことにもまた、歯痒さを感じてやまない。
Unmod以外は見ていない動画も多いが、StandupのPadrace、Haroさん、Akky、XpXhのRPD、Criswea!!、AestheticsのAiMoさん、Nanafushiさんが印象に残った。特にXpXhの上位二名の動画を見ていて、やはり今後未知なる表現の開拓は、改造された、双頭の、長く回しやすいペンによってされるものであると再確認した。そしてその点で、キャリアの途中でUnmodに本格的に参入する人はこれからもいないだろう。時間は有限だ。だとすれば、ペンスピナーたちの“余暇”として細々と生きつつ、Easeさんやaonekoさん、僕などと同じ轍を踏んでくれる次世代を見つけることが、Unmodスタイルが食いつなぐ唯一の道ではないか。僕は方々で「Dr.gripスタイルの延命をするためにいまもDr.gripを回している」と言っているが、今後の身の振り方としてはおおむね適切なものであろう。そしてそれはおそらく単なる現状維持で達成できるものではない。そのスタイルをずっと続けている者なしにして、スタイルが生き残る術はない。オールドスクールVPスタイルの状況を見れば、そのことは明白だ。
Taliskerさんの予測の答え合わせには、かなりの期間を要するものだろう。しかしPSOのUnmod部門が新設されたことで、その期間はかなり縮んでくれたと思う。スピナーたちが“余暇”に専念する機会が生まれたことは、この上ない幸いだ。だから僕はこれからも“余暇”の番人として、伝統主義者的に、回せるだけ回してゆくつもりだ。もし次回もUnmod部門があるなら、そして僕が幸運なことに二年後もペン回し活動を続けられているならば、そのときはぜひ僕と“余暇”を楽しんでいただき、時には僕を越えていただきたい。
素晴らしい大会をありがとうございました。
2022/12/15 1:10 KoViさんの動画を追加
Xoay感想 〜「現実世界×ペン回し」CVの楽しみについて〜
机上の同質的な撮影環境を離れ、外に出れば変わりない俺たちの生活がある。ペン回しには回す手があり、それを支える腕があって、腕の持ち主は当然服を着ている。彼は立って座って歩いて、あるいはスクーターに乗って道を、自分よりも遥かにデカい建築物の列の間を縫ってどこかへ走ってゆく。それらを取り囲んで空気があり、明暗があり、雨と遠雷がある。
そういう俺たちの生の時間を前にペン回しはとても小さい。たぶん太陽と地球くらいの差がある。
ペン回しに現実世界を組み込むのは、ペン回しという抽象的運動体を、厖大で遡行不可能な生の時間と対峙させることだと思う。または、生の時間をペン回しと対峙させることでもあるだろう。
“Xoay”の風景カットは、どこかへ向かってゆくような、動きのあるカットが多く、ふとしたところで薄暗くしんとした路地のカットが挿入される。
ペン回しのカットは、序盤は背景に動きのある、風景カットとリンクしたものが続くが、中盤からは風景カットの動きと対比するように、静かな背景でのペン回しが多くなる。ペン回しのカットのどれもが、明暗やアングル、背景などにそれぞれ違う趣きがあり、風景カットも相俟って、ペン回しがメインでありながら、生の時間のなかに溶け込んでいる感じがする。
ついでにみちのく旋転会の“REAL”やLotus氏の“OMACHI-KUDASAI”を見返してみたけれど、“Xoay”はこの二作品とは微妙に別なアプローチになっており見応えがある。
大したことは書かなかったけれど、現実世界×ペン回しの楽しみを俺なりに言語化しておいた。多分このコンセプトがとれるアプローチもそういうものなんじゃないだろうか。
2022/09/05 21:41 副題を追加アンド修正
Dr.gripなんて回すな!
ペンスピナーのブログを時折読み返している。当時の彼らが抱いていたペン回し観とか、オフ会の記録やCV制作とかの裏話などが(もちろん消えたものも多いが)残されており、今読んでみるとなかなか面白い。ペンスピブログイベントであるアドベントカレンダーやPSメモランダムの真価は、数年経ったあとに発揮されるものなのかもしれない。
Dr.gripスピナーであるTheCCAW氏、Ease氏の両二名は、ブログにてDr.gripを回すことのメリットやデメリットについて考察を残している(TheCCAW氏はデメリットのみ)。記事中にある二人の当時のDr.gripスピナー歴にいつのまにか僕も到達してしまっていたので、今回はこの話題について先達二人の記事を踏まえ、ここに書き記そうと思う。下記に両氏の記事のリンクを置いておく。
目次
Dr.gripを回すことのメリット
1.Dr.gripスピナーという個性・希少性を得られる
ふつうそれぞれのスピナーの違いというのは、環境やアングル、指の形あるいは名前そのものの影響力等等、そういったもので見分けられるけれども、Dr.gripスピナーの場合、「回しているペンが短く、また未改造である」という截然としたもう一つの違いを持てる。ペンの短さが技や軌道の見え方を、改造ペンスピナーとは一線を画したものにするので、この明白な違いはCVにおいても差し色的な役割を持ちやすい
加えて同時代的なスタイル被りがそれほど起こらないため、なお個性・希少性を獲得しやすい*1。
2.使い込みプレイヤーにとってこれほどうってつけのペンはない
無論改造ペンでも「使い込み」はあるけれども、Dr.gripは一部を除き、使い込むにつれ塗装が落ちて回しやすくなる上に、ツヤのある綺麗な、見栄えの良い白ボディに変化してゆく。グリップも使い込むことで削れ、濁り、独特の貫禄が出てくるため、変化を楽しめるのもDr.gripを回し続けることの良さだ。
3.金銭的浪費が少ない
Ease氏の書いていたことと被るが、Dr.grip回しは経済的コスパがよい。店頭で買えないのがネックだが、スピループスで送料込みでも800円。一本二本程度の改造ペンだけでずっと食ってゆくつもりなら話は別だが、現実にスピナーがペンにかけている費用の総額で見れば段違いに安くなる。
余談だが、この間Kay氏がDr.gripをそのフォルムを保ったまま改造する動画【コメペン改造】Dr.GripをDr.GripでDr.Gripにします【ペン回し改造ペン】 - YouTubeを上げており、「スゲー!」と中学生ばりの感動を覚えた僕は即、近くのスーパーで材料を買いに出かけたわけだが、支払い時に完全に我に返ってしまった。改造されず、新品のままのペンたちは今も小物入れに眠っている。
さて、僕が考えついたメリットはそんなところであった。次にデメリットについて書く。
Dr.gripを回すことのデメリット
1.映えない
ペン回しFSの評価において、もっとも根本的な要素といえば、その一つとして「手とペンの主張のバランス」が挙げられる。背景と同系色のペンを回すのは「映えない」わけだが、それというのもペンの軌道が背景と同化し見えづらくなることで、手の動きが殊更に強調されてしまうからなのだ。hash氏のペン回しコーチング企画第二回配信でも、一番初めにペンと背景の配色についての指摘がなされている。実際、ペンの両端部分の色が背景と同化しており、本来つくれる大きさの半分くらいの円軌道になっている。円軌道が小さいので、そのぶん手の動きが意図せず強調されてしまっている(crossさんへ 勝手に評価しちゃってすみません)。
この円軌道の小ささ、どこか既視感がある。……そう、これはDr.grip回しがつくる円軌道の大きさに近いのだ。
つまり、Dr.gripの回しというのは必然的に、“円軌道が小さいゆえに手が殊更に強調されがち=映えない”回しであるわけだ。
FSの評価におけるもっとも根本的な要素において、Dr.grip回しにはハンデがある。Dr.gripスピナーは、改造ペン使いであれば背景とペンの色合いにさえ気を遣えば容易にクリアできるような、通過点でしかない要素と一生涯付き合う羽目になる。
2.技術的困難性、スタイル確立への気の遠くなるような道のり
もはや言うまでもないが、Dr.gripのそのフォルム、その短さは技術習得において強力な軛となっている。 そもそもが回しにくいので、習熟するにまず時間がかかる。いざ習熟したとて、前述の見映えの悪さが表現の幅を大いに狭めているため、今度は他Dr.gripスピナーとの差別化に苦労する。
黎明期からすでに独自のスタイルが出来上がっていたaysh氏、Dr.gripの欠点をうまくかわし、転用しながら、表現の「型」を作り上げたのがEase氏で、その「型」とはまったく別の世界観で突き進んだのがaoneko氏やTheCCAW氏である。ほかにもCrasher氏やOver氏、Garu氏等等。……これだけの表現がDr.grip回しから生まれているのには驚くばかりだが、果たして僕以降のDr.gripスピナーに残された道があるのか、十年目である今の僕にすら全くわからない。
3.周りに理解されにくい
一般スピナーのDr.grip回しへの評価には八割方「ドクグリ回しわかんないけど」という枕詞がつく*3。これはおそらく大技や両手、インフィニスト、ときにはコリアンなどほかのスタイルでもあることだとは思うが、それらに比べDr.grip回しは、他スピナーの価値観に侵襲できるくらいの確固たる個性を持つことがはるかに難しいように思える。
一般スピナーが持ち合わせている尺度で評価できる範囲から、Dr.grip回しがあまりにもはみ出しすぎているのか、あるいは1の「映えなさ」が評価するうえであまりにも大きな壁になっているのか。どちらにせよ一般スピナーからの数多の「わからない」をぶつけられながらの、孤独な戦いを強いられる。
4.改造ペンとの関係が崩れる
Ease氏、TheCCAW氏両名はデメリットとしてまず「改造ペンに対する意識の希薄化」を挙げている*4。改造をしないのでその知識や楽しみを抱くことも共有することもなくなり、結果としてペン回しの楽しみの一つを失った状態になる、というわけだ。僕は比較的改造ペンを回す方ではある(多分)が、それでも改造はここ数年していないし、動画も滅多に出さないため、総じてDr.gripスピナーと改造ペンとの距離はかなり遠いといえる。
じゃあもうちょい距離縮めれば良いんじゃないの、と思われるかもしれないが、これについては両二名の記事で既に回答とすべきものが出ている。
ドクグラーになることであの人はDr.GRIPしか回さないというイメージ、先入観が付きます。
改造ペンを回しても他人から見て違和感が生じてしまいます。また周囲の期待がある場合は、他のペンに鞍替えすることが困難となります。
色々なペンでFSを撮影して楽しむ機会が格段に減ることになるでしょう。
「Dr.GRIPを回し続ける」と思い定めたとしても,生半可な決意では改造ペンの誘惑には勝てないというのが私の見解です。純粋な"回しやすさ"という大きなメリットを捨ててまでDr.GRIPを回し続ける必要性はないと私は思います。
こうして両者の回答を並べてみると、元からDr.gripしか回してなかったEase氏と、途中からDr.gripスピナーになったTheCCAW氏とのペンスピナー的生い立ちの違いが浮き出てきて面白い。ちなみにaoneko氏は前者で、僕は後者だ。
僕のそういった経歴からいえば、Dr.gripスピナーたるには、それすなわち「改造ペン縛り」をすることに他ならない*5。改造ペンはDr.gripに比べあまりにも見映えが良すぎ、回しやすすぎる。改造ペンをわりかし回す僕がそれを滅多に動画に残さないのは、はっきりいって改造ペンを回した方がよっぽど「映える」と自分で理解しており、「ドクグリよりよっぽど良いじゃん」と評されることを、恐れているからだ。完全に拗らせである。
改造ペンに対しては無関心になるか、拗らせるかのどちらかしかなくなるのだ。どちらにせよ一般スピナーとはその関係性において全く異なっている。
こんなところだろう。ほかにも細かい要素は挙げられると思うが、大体のメリット・デメリット(特に後者)は、突き詰めてゆくと上に挙げたもののうちのどれかに収まると思う。
かれこれ僕もDr.gripを回し始めて十年目である。人は多少不満を持ちつつもそれとうまく付き合ってゆくもので、デメリットと長く付き合えば付き合うほどそれはその人のうちで発酵され、単なる短所・欠点に留まらなくなる。Ease、TheCCAW両氏の記事のデメリットの記述にも、長年それと共に生きてきたもの特有の、深みのようなものが感じられる。
ある種自虐的に,加えて潜在的ドクグラーの芽を摘むという建設的な意味合いで「Dr.GRIPを回さないほうがいい5つの理由」を記します。
TheCCAW氏は冒頭でそう宣言し、「俺みたいにはなるな!」という教訓的な意味合いでデメリットを五つ記している。しかしこの「ある種自虐的に」という言葉の含みが、暗に、Dr.grip回しの世界を魅力的に感じさせ、その世界に読者を招待しているようも思えてくる。実際、「脈絡はない」としつつも、記事は彼自身のDr.grip回しの動画で締めくくられている。
往々にして、不満にこそその人の感性、経験が色濃く反映され、面白味を持つものなのだ。
TheCCAW氏がそこまで意図していたかはわからないが、ともあれ僕も次の一言をもって記事を締めくくろうと思う。
「Dr.gripなんて回すな!」
2022/08/26 1:26 追記。自慢したいので今の俺のDr.gripの写真を貼っておく。
2022/08/26 2:53 デメリット1の本文に追記。
2022/08/26 3:13 誤字修正
2022/11/08 15:29 Kay氏の動画リンクを追加

IN THE DUSK感想
音楽のライブといえば、個人的にはまずあの耳をつん裂くような、けたたましい音の鳴る(故に苦手な)ライブハウスをイメージするが、一度だけ喫茶店のライブに行ったことがある。ジャズといえば喫茶店、という、一種ありきたりな想像をなぞるような体験ではあったが、ウッドベースの音色をその身に響かせている、やや物々しい石膏の壁を、ミラーボールの反射した色とりどりの円い光がつたってゆく光景を妙に覚えている。
日が暮れても明るい都会の夜景をあえてピンボケの状態で撮ると、水玉様の暖かい光が真っ暗な中に浮かび上がる。『イン・ザ・ダスク』のサムネイルがまさにそれで、これを界隈の用語で「玉ボケ(!)」と呼ぶらしいが、本編でもあらゆるところで「玉ボケ」を想起させるエフェクトが使われている。
しかし個人的には、あのミラーボールの反射光が連想された。kudoさんには隣でスマホの画面を見せてくれたfukrouさん*1だが、僕をかの喫茶店のジャズライブに連れて行ってくれもしたのだ(?)。
出演者の感想(敬称略)
おれ
成功率を上げるために手癖技で組んだため、割と簡素な構成。現状、そこそこの完成度で撮るためにはここまで難易度を下げないといけない、ということを自覚した、ようやくスタートラインに立てたという感じのFSである。
ただ手癖に頼りすぎたため、ところどころ見栄えの悪い技が入っている。自分の中では一番好きなFSだが惜しい。
ツイッターでも言ったが、実はこれ、手持ち撮影である。しっかり手ブレ補正されてあり、しかも完璧すぎるので申し訳ないが面白かった。
Nanafushi
発想や技術はよいが、全体的に小綺麗にまとめられ過ぎているという印象を受ける。ただ歴はまだ浅いから、どんどん経験を積んでほしい。
この人のシャドウが上手い。〆の前にしれっと入るジャパモの瞬間風速にやられてしまった。個人的にはもっとトリッキーなことをしてもよいと思う。
Padrace
全体的に腕で回し気味なのと、手の主張がやや大きいため惜しい。〆にかけてのクライマックスはとてもよいだけにとても惜しいFS。
マワシズキ
指を折りたたむ技と開く技をバランスよく使い、234をおもっきし開いたダイナミックな技を入れて〆へとゆく構成は素晴らしいが、肝心な234を開いたときの指の形がホラー。照明の当たり方といい、色合いといい、ややホラーな動画。
kiwi
粘性のある技運び。ゴム製のサンバを回している可能性がある。回しが楽曲のパートにうまくマッチしており、非常に魅力的。
Airi
円軌道の見せ方や崩し方など相変わらず上手い。さりげないエフェクトも相まって〆がキマっている。45軸の技がもう少し欲しいと感じた。
このkiwi→Airiのパートが個人的には一番好きな場面だ。
Nk
ペンの端を持つパート、中心で回すパートの配分がうまく、またそれぞれで緩急もしっかりついている。マジで上手い。特に「急」のパートの回転量が凄まじい。
余談だがこの人、実は僕と同じペンスピLINEグループの出身らしい。知らなかったの俺だけ?
TUv4
WC18の頃と比べ、ペンの見せ方が見違えるほど上手くなっている。このスタイルで見栄えの良い回しを維持しつつ、さらに浮遊感まであるので、個性が強い。
AiMo
技のレパートリーが数年前とは比べ物にならないほど多く、また環境も良いので安定して上手い。中盤の23フェイソニ→FLリバの指の形がよい。音合わせもしっかりハマっている。
eban
あまりにも均整のとれすぎな手つきは言わずもがな、中盤の13チャージなど、技の精巧さも健在。コマ落ちのためなのか、ペンの残像が惜しいと思った。
mir
えええ!! となった。共演できて嬉しい。流暢な技運びのなかに気持ちよくスリップトソニックとラダーが入る、mirさんらしいFS。
iroziro
シャドウの流れを23-12デビルズソニック⇒FLリバでぶった切り、ソニひねをちょっとばかしいれて23でぶん回す、という怒涛の前半と、ラストの12sp⇒そのまま〆ると思いきや、23で派手に一回転入れてから〆、という裏切り技にこの人の底の知れなさがある。上手い。
色白さんの〆を呼水に、うっすらと僕、ななふし、クドウ、tuv4、kiwi、mirが三連符に合わせ代わる代わる〆をキメて、本編が終わる。なんとなくガンダムZZのクライマックスを思い出す演出であった。
CVに実写映像を使う発想はJapEn 15thでもあったが、よりスピナーの心情にフォーカスしていたJapEn15thに対し、『IN THE DUSK』は風景そのものに焦点を当てている。*2
初編集ながら、ペン回しCVとしての基本的な演出技法をしっかり抑えた上で、実写映像×CVというコンセプトを実現するに至っており、fukrouさんの努力の凄さを実感する。アドバイザーがどれだけいても、自分ならあの細かくて面倒で非常に多い作業量に、途中で音を上げてしまうだろう。
編集の基礎はだいぶ身についただろうから、これからもCVを作っていって欲しいところだが、毎回高クオリティでなくとも、『愉快な仲間たち』シリーズとか、親指シリーズとかのノリでいい。むしろそのノリのCVが見たい、と思った次第。
お疲れ様でした。
2022年7月20日17:14 脚注を追加
2022年7月20日17:18 脚注を若干修正
*1:IN THE DUSK 感想 - 新 クドウのアトリエ
*2:ちなみに風景×FSは確かvampireさんがやり始めたと記憶している。
SMR Splash 感想
納豆さんのCVに出た。
前作や『イカ即』シリーズに比べ、シーン切り替えやコテ出しのエフェクトなど、画面全体を使ったダイナミックな演出が随所に見られ、CVそのもののテーマ「青」、「水しぶき」が前面に出ている。以前の作品に引き続きペン回しを主役に添える手堅い演出も健在であり、即席にしてはなかなかのクオリティである。
横幅がやや狭めなのと、Nogutaさんに切り替わるときのエフェクトの動きにカクつきがあるのが少し気になった。後者は意図されたものかもしれない。
CV制作をやっている人から見れば、また違った感想が出てくるだろう。
出演者の感想を書いていく、敬称略す。
Mania
技のチョイスにCeNtiさん味を感じた。序盤のウィンドミル(?)からサッと4ガンマンまでのコンボのような、アッサリとした流れが〆の前段階にもあると全体的なバランスがよくなるように思える。尺的に仕方ない。
Noguta
ペンに比べ、手の主張がやや強めだが、このタイプのペンの残像は、これはこれで一つのスタイルとしてみてよいかもしれない。テンポが良いため見ていて不快感がない。
〆前に一瞬だけ回転が逆になる場面があり、惜しい。見せ場になりうる切り返しだったが、すぐに回転方向が戻ったため、見せ場になり損ねている。その重さゆえか、全体的にペンを支えきれていない感があり、2軸fxxk⇒ノーマルの際の手の形や腕の動きなども惜しい。
Airi
上手い。たぶん適当に撮ったのだろうけど、スタイルがほぼ完成されているので、ペンの基本的な動かし方や緩急など、一つ一つ次元が違っている。若い人が双頭ペンで緩急のないFSをしているのをよく見かけるが、みな彼を見習ってほしい。
a_L_P
中盤の1軸がほどよく入ってくるコンボ(12-25パスリバ〜切り返しまでの流れ)が良い。昔は伏せ技の時の親指の主張があまり好きでなかったが、それも改善されている。
パスやソニひねが多く、常に等速でいまいち見せ場がわからない印象があるが、たまたまこの動画がそうなだけで、最近の他の動画ではその欠点も補完されている。
Nascaおてもと
コリアンにわかながら、全体的にshahellっぽい印象を受けた。私見、技の洗練というところではかなり卓越しているが、これからジャンル横断的にいろんなスタイルを吸収して、構成力を身につけていってほしいと思う。
Raijing
この人もペンの重さに負けている印象がある。中盤の伏せ25でペンを持ち、34軸の入れ替えをする技はたしかJapEn11thのふかわさんもやっていたが、あまり良い技だとは言えない。
Meves
歴が長いだけあって技がかなり洗練されている。指遣いや腕の動きなど、「VPっぽい」という形容には収まらない独特さがある。構成と〆のつっかかりが気になった。
Sfine
画質といい照明の当たり方といい、タイムスリップをしている人の可能性がある。ネオバク流し以降のペンがバウンドしているような動きの流れが面白い。
MELON
この人からもCeNtiさん味を感じた。個人的にはペンと手との存在感のバランスが少し変だと思った。4G回線スマホで視聴しているせいもあるかもしれないが、ペンの残像が出にくいために回転数不足な印象を受ける。逆回転中心の構成で、手を立体的に見せる技が多いので、どこかで切り返してもいいと思う。
おれ
「LAST Player」から急に僕のガタガタな3ガンマンがどアップで映ったので笑ってしまった。今見返すといろいろ粗が見えてくる。編集が悪いわけでなく、いつも脇目でしかFSの確認をしない僕が悪い。オーダーの難易度を考慮せずなんとなくで組んだためにFSの成功率が落ち、伴って完成度も落ち、結局「まあ〆は上手くいったかな」くらいで妥協してしまう自分の悪い癖が出てしまった。
そういえば毒栗の配色について。以前パーツをいただいて緑白配色にしていたが、折れてしまったため、家にあった青パーツでこのドクグラーあるある配色にしている。どなたか、いつかの機会に、ご自宅に余りもののクリア緑のパーツがあれば、それを1つ(よければ2つ)恵んでいただきたい。
にしても、かなり久々にCVに出た。(身内CVに誘われてこっそり出ることはあったが)本格的な出演はJapEn13th以来になる。未視聴だったJapEn2020,17thを観、同世代の動画をいろいろ見て、いざ自分の2018年までの動画を見返してみたが、まあなんと自分のレベルの低さに思わず嘆息してしまった。この辺りいろいろ書いてゆきたい。
JapEn17th(できれば2020も)の感想もまた、筆を改めて書こうと思う。